第5回哲学カフェ 活動報告
2018年11月8日(木) @首都大学東京 南大沢キャンパス
世話人:森悠貴、笹本もも
進行:木田直人
2018年11月8日、第5回哲学カフェが開催されました。前回よりもさらに大人数となり、席がほとんどみつからないほどの活況でした。また、リピーターから初参加者まで、また学生から社会人、そして哲学以外の教員の先生まで、幅広い層からのご参加がありました。今回のテーマは次の三つです。
①正義とは何か?立場で変わるものか?
②2人以上の人がひとつのものを見るとき、どういう意味で同じものを見ていて、どういう意味で同じものをみていないのか?
③寿命って 良いもの? 悪いもの?
①「正義とは何か?立場で変わるものか?」は古代ギリシアから続く一大論点です。やはり現代の哲学カフェでも、普遍的な正義があるという立場と相対主義的な立場とが入り乱れて議論されていました。注目するべき意見として、「誰だって嫌なものは嫌じゃん、だったら正義はわからないが不正のほうははっきりしてるでしょ」というものを記憶しています。たしかにそうですよね。
②のテーマは、これまた近代以降の認識論を彷彿とさせるテーマです。議論の方向として、「見る」を含む知覚一般の議論へと進むものと、「同じ」という概念の吟味に進むものの二方向があったように思われます。知覚については、あなたの見ている赤と私の見ている赤が同じである保証はない、という知覚の私秘性、検証不能性等の議論がなされたかと思うと、すぐさま、人間身体は個人差があったとしても人間という種に大きな差があるはずがなく、赤が黄色に見えることはありえないという反論もありました。他方、「同じ」とは何かという議論においては、そもそもこの世界に同じと言えるものはないのではないか、という哲学的な議論もなされました。
③寿命が良いものか悪いものかというテーマには、不意を突かれました。物事の多くの良し悪しは寿命あってこそだという気づきがまずあり、だからこそ、物事の良し悪しの基盤となる寿命それ自体の良し悪しを論ずることが、さらに一筋縄でいかなくなるような気がしたからです。やがて終わるからこそ愛おしい。では愛おしいものは終わってほしいだろうか、などなど、思考はとりとめもなく進みます。
今回も終了時刻を1時間すぎても、まだ多くの参加者は教室に残って議論を続けていました。哲学カフェは、私たちが開催しているのではなく、みなさんに開催してもらっているのだな、という印象を深めた一日でした。