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第4回哲学カフェ 活動報告

2018年5月31日(木) @首都大学東京 南大沢キャンパス

世話人:金谷秀美、森悠貴

進行:木田直人

 去る2018年5月31日、第4回哲学カフェが開催されました。今回もさらに規模が拡大し、楽しくも真剣な会話が交わされました。今回もテーマは参加者が持ち寄ったものの中から、多数決で決定されました。次の3つです。

 

 ①生きる意味は何か?

 ②哲学するってどういうこと?

 ③自分の気持ち(~したい・~が好き)がどこにあって何を見ればわかるか?

 

 ①「生きる意味は何か?」は哲学の真価が試されるテーマです。あるテーブルでは、人間は生物の一つであって、生物は進化の結果存在しているだけなのだから目的などそもそも存在しない、という主張がなされました。しかし、意味などないなら、なぜ今こうして生きているのか、という問いは舞い戻ってきます。人間は他の生命と違って目的をみずから設定してしまう生き物なのかもしれません。他方で、意味とはそもそも何か?という議論もありました。目的などなくても意味はあるのではないか、という鋭い問題提起もありました。一筋縄では答えにくいが、いつも提起されてしまうこの問題、何かしら持論が欲しいですね。

 ②「哲学するってどういうこと?」は①に劣らず抽象的な問題。一般的に理解されている「哲学」は、難解で達観した人生観のようなものだと思います。しかし、大学での哲学の教員の答えはどうでしょうか。どうやら哲学の教員の間でも一致した答えはありません。とはいえ、各テーブルに一人はいることになっている哲学の教員は、何かしら自分の哲学観を披露したのではないでしょうか。おそらく、概念について徹底的に考察を深め、世界や自己の構造を明らかにするような営みなのでしょうが、それではよくわかりませんね。ある参加者が言いました。「哲学とは何か」に意見の一致がなくて哲学科があるのはおかしなことじゃないですか?そ、そうかもしれせんね。

 ③は、この日一番具体性があるテーマでした。自分の気持ちがよくわからないな、という漠たる思いが共有され、このテーマが選ばれたのでしょう。参加者によっては、自分は好き嫌いがはっきりしているから、このテーマの意味が分からないと言っていました。彼女は「どこにあって何を見ればわかるか?」には、「自分の心にあって自分の心を見ればわかる」と言って、好き嫌いは心の問題だからそれ以上は何も言えないと言っていました。それにたいし、自分の気持ちは心を見たところでやっぱりわからず、何か外部に誘因が現われたときにはじめて、磁石のように引きつけられたり反発するのを見てはじめて自覚される、という反論がありました。好き嫌いほど自分にとって明らかなものはないのか、好き嫌いほど不分明なものはないのか、議論は交わされました。

 今回も、終了時刻をすぎても延々熱い議論は続いていました。教室の都合、やむなく強制退去?となりましたが、みなさん今日のテーマを家でも反芻して考え続けていらっしゃるのでしょう。また次回も思いのたけをお話しくださいね。

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