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第1回哲学カフェ 活動報告

2017年3月28日(火) @首都大学東京 南大沢キャンパス

世話人:浅野将秀、山崎沙紀子、三上温湯、角田健太郎

進行:木田直人

 第1回哲学カフェが、首都大南大沢キャンパスにて開催されました。参加者は11人。わずかな参加者ではありますが、春色の芝生広場を横目に、熱い議論が交わされました。

 

 第一討論の議題は「『話せば分かる』は本当か?」でした。ここでは、「分かるけど分からない」あるいは「分からないけど分かる」といった、「分かる」次元にも複数性があるのかも? という議論が展開されました。その関連でそもそも分かり合えない双方が議論の土俵に乗ること自体、ある種の「分かり」があるのかもしれない、という気づきもありました。また、ヘイト・スピーチなどの他者理解の拒絶の根源には、実は、自己への誤解があるという議論も出て、広がりのある展開となりました。

 

 一方で、「話せば分かる」とは反対に、「話さずとも分かる」不思議な体験についての議論、「話さなければ分かってくれない」という思わぬ方向にも話は派生し、予定時刻を大幅に延長することとなりました。当初、3つの議題が予定されていましたが、ここであっさりあきらめ、次の、かつ最後の第二討論へ(運営の責任です、すみません)。

 

 第二討論の議題は、「自然な死とは何か?」でした。ここでは、いわゆる「スパゲッティ状態」(延命のためのチューブをたくさん取り付けられた状態)になっても生きることに意味はあるのか、延命を本人が望んでいるかどうかわからない場面で、周囲の者がどう判断するのか、という困難な問題が提示されました。科学技術の進展により、生死を選択しうる自由と責任という問題が生じたことが鋭く指摘され、この責任を個人的レベルで引き受けるのか、法整備等の社会レベルで引き受けるか等の議論がなされました。生命の尊厳を強調する議論と、ある程度生命の価値づけを許容するような議論との衝突をいかに調停するか。大変困難な問題であることが参加者にて自覚されたのではないでしょうか。

 はじめての開催ということもあり、至らぬ点多々ありましたが、大きな一歩です。参加者の皆さま、第2回の参加も心待ちにしております!

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